日月神示 この世と霊界の最高機密 2008/6/24(火) 午後 11:28スピリチャルその他超常現象 ナイス!0
現在、各地で地震が頻発している。様々な凶悪事件もあとを絶たない。
2012年に終わるというマヤ暦、最近来日したブラジルのジュセリーノの予言など、いずれもあと数年で太陽系と地球に大異変と天変地異が起こり2043年までには8割の人間は淘汰されるということを言っている。
「私たちは 死んだらどうなるんだろう?」「あの世とは どのようになっているんだろう?」 という素朴な疑問に対し 真正面から真摯に取り組まれている書物の中では、引用も多くて分り易く、私たち日本人に とても合った解説書のように思います。
一般的に、海外の本も翻訳者の腕次第で とてもいいものは多いようなのですが“ガチガチのキリスト教的” であることが多いのでわかりにくいところが多く読んでいてウンザリしますが、この本は日本人にとって非常にわかりやすい。
そして死後は、各自の現界の想念がもっとも適する世界に行くことになっておりそれは無数の集団に分かれている。まさに天界から地獄界と思われるところまで…。
そしてこの世でしか自分の霊格を上げることはできないという。また霊界を垣間見てきた人というのは自分の霊格にあった世界しか見ることができないので妄信することがないようにとの注意もある。
そして「霊界の現象こそ先にあり、マコトであって現界は後にきてそのウツシであること」や「現界と霊界は互いに影響しあっている」…等。
私たちは、この世(現界)に生活しながら、霊界(神界)・幽界と繋がっている。その二重構造の世界に大変動が起きている。幽界がなくなり、霊界の半分もなくなる。死後私たちが赴き、休んだり、研鑽を積んだり、来世の計画をたてて生まれ変わったりしていた霊界システムが、ある意味、終わってしまうのだ。
神界(霊界)・幽界・現界―三千世界の建替え(破壊)と立直し(再生)の計画書「日月神示」が明かす人間の最高機密とは!?
アセンション、5次元世界出現の意味を生まれ変わりとカルマ解消の霊界システムより解き明かした快著。 特に気になったところを一部抜粋にてご紹介させていただきます。
プロローグ 「あの世」のかたちは一人一人異なっている!
第1章 あの世がこの世になる時代―霊界と科学・生と死の限りなき接近
第2章 誰もが皆、霊界にも同時に生きている―合わせ鏡の無限宇宙
第3章 人類の歪んだ想念が巨大な幽界を生んだ―スカルソープとワード氏の霊界探訪
第4章 神より遠い霊界はまもなく淘汰される―『あまつふみ』『天使の聲』『霊界旅行記』の世界
第5章 まず霊界で起こり、やがて現界へ波及してくる―終末予言の目的は地上の霊界化
第6章 神界の働きをこの世に移写する―新しき霊界を創造せよ!
エピローグ 神道で霊界を浄化すれば世界の希望が見えてくる!
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肉体は有限のものですが、魂は永遠に流転するのです。我々の社会にもまだ死というものをタブー視する傾向にある。誰か身近な人の死について口にすると「縁起でもない」といって怒ることがあるのもその一例です。
しかし、明確な死生観を持ち、死ぬことの意味について真剣に考えることは、決して悪いことではない。むしろ、そうすることにより、活き活きと現世を生きることにつながるのです。
何故、肉体を持って生まれてきたのか。そこには必ず意味がある。もっとはっきりといえば、生きる「使命」というものがある。人それぞれに違った使命があり、これを遂行するために今生を大いなる力により「生かされている」のである。人間、せいぜい人生80年である。長く生きたとしても90余年、といったところだろう。
地球の年齢は約46億歳である。宇宙の単位で言えば、人の一生など瞬きの間どころではない、一瞬の出来事なのである。この短い肉体の保有期間の間に、いつ自分の使命に気が付き、これを遂行し肉体を脱ぐまでにどのようなことを成し遂げて、来世につなぐのか。
そこにこそ「生きる」ことの真の意味が存在するのではないだろうか。本書は、その事を気が付いていただき、輝かしい未来に向けた意義のある1歩を踏み出していただくために書かれたといっても過言ではないのです。
この10の法則を知れば、壮大で複雑怪奇な霊の宇宙が、断然とらえやすくなるはずです。
1.私たちはすでに霊界にも生きている
生きているときは霊界とは全く関係なく、死んでから赴く場所だと考える人は、結構多いようですが、真実はそうではない。現界(この世)と霊界(あの世)を別々に分けた概念は誤りである。
人間は、誰でも生きながらにして霊界と通じている。ユングの集合的無意識という解釈と通じる所もある。
人間だけでなく万物のあらゆるものが霊界と通じている。わかりやすく言えば、物質的なものは何でも、霊という体に、物質という衣を着ているようなものなのです。
2.霊界で起こることが、時を置いて限界に移写される
霊界と現界とは、表裏一体の合わせ鏡のような関係にあり、相互に影響しあっている。人間は絶えず霊界からの干渉をうけつつ生きている。現界に現象としてとして現れることは、すべて霊界の実在を知り、その心理について知ることは人生の運不運を左右するほど重要なのです。
3.霊界とは、個人の意思想念の生み出す世界である。
霊界とは、いわば波長の世界である。霊界が波長の世界ということは、霊界においては個人のもっている想念そのものの世界が展開するということです。我々の住む現界では、面従腹背といい、言葉と心が一致しないということも有り得る。
しかし霊界においては、そうしたまねが非常に難しくなる。それは、意志がそのままストレートに現れてしまうからである。例えば、紅茶を飲みたいと思えば眼の前に現れる、こんな服を着たいと思えば思い通りの服を着られる。そんな魔法のような世界であるといってもよいだろう。それは善良な想念の持ち主の場合である。粗悪な想念の持ち主ならば、その心のとおり悲惨な事物が現象化する。
4、個人の想念に応じて無限の境域が存在する
想念とは、個人的意識の奥底までを総称する呼び方であるが、自分とふさわしい霊界とつながっている。霊界は、現界のように高尚なものと醜悪なものとが入り混じる、雑然としたところではなく、厳格にその霊界の性質に応じた境域に区分されている。
これは、ラジオやテレビのように受信機や受像機が肉体だとすると、想念は電波である。周波数が合えば、希望する放送を聴いたり見たり出来るが、少しでもズレれば交流は出来なくなる。個々人によって、想念のバイブレーションには違いがある。その想念の違いにより、人間は想念の霊界の境域と常に交流している。霊界には無限ともいえる多種多様な境域が存在する。
5.霊界では似た物同士が相交わり、集まって団体を形成している。
霊界が個人の想念に応じてそれぞれ一定の境域を形成し、それが無限の段階に分かれているということは、その一定の境域の住む者は、同質のバイブレーションを持っているということになる。
草花を愛でる者は草花の集まる境域に行き、音楽を奏でることが、好きな者は同様の音楽演奏を好む境域に行く。ケンカ好きはケンカ好きの、権力を好む者は権力を好む境域へ住むということである。このように似たもの同士が集まって、1つの団体社会が形成されている。その団体も無限といえるほど多く、大きさも様々である。その中には天国的な社会もあれば、地獄的な社会も存在する。
6.霊界には時間と空間の区別がない
霊界にはまた、地上界的な時間と空間の概念がない。太陽は、あっても動かずにじっと天の一点にとどまっており、境界の明るさには変化がない。四季の移り変わりは無く、地上界のように周囲の事物が時と共に変化を遂げることはない。ただ、その事物の波調が質的に変化すると、見てくれもそれに応じて変化するようだ。
霊界では、話をしたいと思う人物との間に、数十万キロメートルもの距離があっても、話したいという意思により、瞬時にして自分がその人物の傍らにきてしまう、といった具合である。
7.霊界には無限の階層があり、その高低は神に近いか遠いかで決まる
霊界に存在する無限の境域は、高い低いといった表現で説明できるような階層構造になっている。高い境域というのは、いわゆる天国界のことである。その高さにも限りが無く、上に昇れば昇るほど神の領域の近くなっていく。これに対し、低い境域はいわゆる地獄界のことである。その低さも無限であり、奈落の底にも際限がない。この階層構造にも様々な区分があるようだが、正確に言うなら、その段階は無限である。便宜上3段階に分けるが、、実のところは、想念に応じて無限の階層に分かれていると考えてよい。階層が高いか低いかということは、要するに神の持つ波調に近いか遠いかということであり、神の波調は非常に繊細で清らかなバイブレーションである。そして神から離れれば離れるほどその波調は粗くなり濁りを生じてくる。
8.神より遠い霊界は、まもなく消滅させられる
神より遠く離れ、粗く濁った波調の霊界とはいわゆる地獄界である。現界は、神に近い領域である天国界より、神より遠い領域である地獄界からの干渉を多く受けるようになっており、地上に病・貧・争・災が蔓延するのはそのためだという。
今まではそれも必要悪として存在が許されたが、まもなくこの「神より遠い霊界」は大淘汰を受けて消滅することになっている。
9.人類に降ろされる終末予言は、すべて霊界に端を発している
これまで人類に終末的危機が訪れることは、イエス・キリスト、釈迦をはじめ、「ヨハネの黙示録」、ノストラダムス、エドガーケイシー、「ファティマの予言」、「聖マラキの予言」など…様々な予言者や霊示によって説かれてきた。これらはすべて、近い将来に「神より遠い霊界」が無くなることを予言、警告したものであった。
現界に実際の「果」として現れる前に、必ず霊界に「因」がある。未来の終末的危機を予言した者は、霊界においてその原型を垣間見たのである。やがてその原型が顕在化し、現象として現れることを彼らは知っていたのである。
彼らの予言が必ずしも的中したり一致しないのは、それぞれ個々人の想念波調に応じた霊界と交流し、その霊界レベルとその時代の言葉で表現しようと述べ伝えたものだからである。共通しているのは、そうした「低き霊界」の消滅と共に、地上にもその淘汰現象が移ってくることであり、終末とは「神から離れた霊界」の終焉を意味する言葉なのである。
10.私たちは生きながらにして霊層を上げることが可能である
人間は、誰しも霊界に通じている以上、生きながらにして自分の交流する霊界のレベル(霊層)を上げることも下げることも可能であるということです。これが1度霊界に入ってしまうと、その境域固有の同一バイブレーションで構成されてしまうため、質的に変化向上することが難かしくなってしまう。
しかし、現界においては、あらゆるバイブレーションが同一の次元に雑多に存在するため、心がけと努力次第によっては、霊層アップが比較的容易なのです。その代わり、低い想念波調と交流してしまうことで、さらに低い霊層へと自らを貶めることもある。実は、地上界に生まれたことは、自分の霊層を高めるチャンスなのである。
現在、各地で地震が頻発している。様々な凶悪事件もあとを絶たない。
2012年に終わるというマヤ暦、最近来日したブラジルのジュセリーノの予言など、いずれもあと数年で太陽系と地球に大異変と天変地異が起こり2043年までには8割の人間は淘汰されるということを言っている。
「私たちは 死んだらどうなるんだろう?」「あの世とは どのようになっているんだろう?」 という素朴な疑問に対し 真正面から真摯に取り組まれている書物の中では、引用も多くて分り易く、私たち日本人に とても合った解説書のように思います。
一般的に、海外の本も翻訳者の腕次第で とてもいいものは多いようなのですが“ガチガチのキリスト教的” であることが多いのでわかりにくいところが多く読んでいてウンザリしますが、この本は日本人にとって非常にわかりやすい。
そして死後は、各自の現界の想念がもっとも適する世界に行くことになっておりそれは無数の集団に分かれている。まさに天界から地獄界と思われるところまで…。
そしてこの世でしか自分の霊格を上げることはできないという。また霊界を垣間見てきた人というのは自分の霊格にあった世界しか見ることができないので妄信することがないようにとの注意もある。
そして「霊界の現象こそ先にあり、マコトであって現界は後にきてそのウツシであること」や「現界と霊界は互いに影響しあっている」…等。
私たちは、この世(現界)に生活しながら、霊界(神界)・幽界と繋がっている。その二重構造の世界に大変動が起きている。幽界がなくなり、霊界の半分もなくなる。死後私たちが赴き、休んだり、研鑽を積んだり、来世の計画をたてて生まれ変わったりしていた霊界システムが、ある意味、終わってしまうのだ。
神界(霊界)・幽界・現界―三千世界の建替え(破壊)と立直し(再生)の計画書「日月神示」が明かす人間の最高機密とは!?
アセンション、5次元世界出現の意味を生まれ変わりとカルマ解消の霊界システムより解き明かした快著。 特に気になったところを一部抜粋にてご紹介させていただきます。
プロローグ 「あの世」のかたちは一人一人異なっている!
第1章 あの世がこの世になる時代―霊界と科学・生と死の限りなき接近
第2章 誰もが皆、霊界にも同時に生きている―合わせ鏡の無限宇宙
第3章 人類の歪んだ想念が巨大な幽界を生んだ―スカルソープとワード氏の霊界探訪
第4章 神より遠い霊界はまもなく淘汰される―『あまつふみ』『天使の聲』『霊界旅行記』の世界
第5章 まず霊界で起こり、やがて現界へ波及してくる―終末予言の目的は地上の霊界化
第6章 神界の働きをこの世に移写する―新しき霊界を創造せよ!
エピローグ 神道で霊界を浄化すれば世界の希望が見えてくる!
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肉体は有限のものですが、魂は永遠に流転するのです。我々の社会にもまだ死というものをタブー視する傾向にある。誰か身近な人の死について口にすると「縁起でもない」といって怒ることがあるのもその一例です。
しかし、明確な死生観を持ち、死ぬことの意味について真剣に考えることは、決して悪いことではない。むしろ、そうすることにより、活き活きと現世を生きることにつながるのです。
何故、肉体を持って生まれてきたのか。そこには必ず意味がある。もっとはっきりといえば、生きる「使命」というものがある。人それぞれに違った使命があり、これを遂行するために今生を大いなる力により「生かされている」のである。人間、せいぜい人生80年である。長く生きたとしても90余年、といったところだろう。
地球の年齢は約46億歳である。宇宙の単位で言えば、人の一生など瞬きの間どころではない、一瞬の出来事なのである。この短い肉体の保有期間の間に、いつ自分の使命に気が付き、これを遂行し肉体を脱ぐまでにどのようなことを成し遂げて、来世につなぐのか。
そこにこそ「生きる」ことの真の意味が存在するのではないだろうか。本書は、その事を気が付いていただき、輝かしい未来に向けた意義のある1歩を踏み出していただくために書かれたといっても過言ではないのです。
この10の法則を知れば、壮大で複雑怪奇な霊の宇宙が、断然とらえやすくなるはずです。
1.私たちはすでに霊界にも生きている
生きているときは霊界とは全く関係なく、死んでから赴く場所だと考える人は、結構多いようですが、真実はそうではない。現界(この世)と霊界(あの世)を別々に分けた概念は誤りである。
人間は、誰でも生きながらにして霊界と通じている。ユングの集合的無意識という解釈と通じる所もある。
人間だけでなく万物のあらゆるものが霊界と通じている。わかりやすく言えば、物質的なものは何でも、霊という体に、物質という衣を着ているようなものなのです。
2.霊界で起こることが、時を置いて限界に移写される
霊界と現界とは、表裏一体の合わせ鏡のような関係にあり、相互に影響しあっている。人間は絶えず霊界からの干渉をうけつつ生きている。現界に現象としてとして現れることは、すべて霊界の実在を知り、その心理について知ることは人生の運不運を左右するほど重要なのです。
3.霊界とは、個人の意思想念の生み出す世界である。
霊界とは、いわば波長の世界である。霊界が波長の世界ということは、霊界においては個人のもっている想念そのものの世界が展開するということです。我々の住む現界では、面従腹背といい、言葉と心が一致しないということも有り得る。
しかし霊界においては、そうしたまねが非常に難しくなる。それは、意志がそのままストレートに現れてしまうからである。例えば、紅茶を飲みたいと思えば眼の前に現れる、こんな服を着たいと思えば思い通りの服を着られる。そんな魔法のような世界であるといってもよいだろう。それは善良な想念の持ち主の場合である。粗悪な想念の持ち主ならば、その心のとおり悲惨な事物が現象化する。
4、個人の想念に応じて無限の境域が存在する
想念とは、個人的意識の奥底までを総称する呼び方であるが、自分とふさわしい霊界とつながっている。霊界は、現界のように高尚なものと醜悪なものとが入り混じる、雑然としたところではなく、厳格にその霊界の性質に応じた境域に区分されている。
これは、ラジオやテレビのように受信機や受像機が肉体だとすると、想念は電波である。周波数が合えば、希望する放送を聴いたり見たり出来るが、少しでもズレれば交流は出来なくなる。個々人によって、想念のバイブレーションには違いがある。その想念の違いにより、人間は想念の霊界の境域と常に交流している。霊界には無限ともいえる多種多様な境域が存在する。
5.霊界では似た物同士が相交わり、集まって団体を形成している。
霊界が個人の想念に応じてそれぞれ一定の境域を形成し、それが無限の段階に分かれているということは、その一定の境域の住む者は、同質のバイブレーションを持っているということになる。
草花を愛でる者は草花の集まる境域に行き、音楽を奏でることが、好きな者は同様の音楽演奏を好む境域に行く。ケンカ好きはケンカ好きの、権力を好む者は権力を好む境域へ住むということである。このように似たもの同士が集まって、1つの団体社会が形成されている。その団体も無限といえるほど多く、大きさも様々である。その中には天国的な社会もあれば、地獄的な社会も存在する。
6.霊界には時間と空間の区別がない
霊界にはまた、地上界的な時間と空間の概念がない。太陽は、あっても動かずにじっと天の一点にとどまっており、境界の明るさには変化がない。四季の移り変わりは無く、地上界のように周囲の事物が時と共に変化を遂げることはない。ただ、その事物の波調が質的に変化すると、見てくれもそれに応じて変化するようだ。
霊界では、話をしたいと思う人物との間に、数十万キロメートルもの距離があっても、話したいという意思により、瞬時にして自分がその人物の傍らにきてしまう、といった具合である。
7.霊界には無限の階層があり、その高低は神に近いか遠いかで決まる
霊界に存在する無限の境域は、高い低いといった表現で説明できるような階層構造になっている。高い境域というのは、いわゆる天国界のことである。その高さにも限りが無く、上に昇れば昇るほど神の領域の近くなっていく。これに対し、低い境域はいわゆる地獄界のことである。その低さも無限であり、奈落の底にも際限がない。この階層構造にも様々な区分があるようだが、正確に言うなら、その段階は無限である。便宜上3段階に分けるが、、実のところは、想念に応じて無限の階層に分かれていると考えてよい。階層が高いか低いかということは、要するに神の持つ波調に近いか遠いかということであり、神の波調は非常に繊細で清らかなバイブレーションである。そして神から離れれば離れるほどその波調は粗くなり濁りを生じてくる。
8.神より遠い霊界は、まもなく消滅させられる
神より遠く離れ、粗く濁った波調の霊界とはいわゆる地獄界である。現界は、神に近い領域である天国界より、神より遠い領域である地獄界からの干渉を多く受けるようになっており、地上に病・貧・争・災が蔓延するのはそのためだという。
今まではそれも必要悪として存在が許されたが、まもなくこの「神より遠い霊界」は大淘汰を受けて消滅することになっている。
9.人類に降ろされる終末予言は、すべて霊界に端を発している
これまで人類に終末的危機が訪れることは、イエス・キリスト、釈迦をはじめ、「ヨハネの黙示録」、ノストラダムス、エドガーケイシー、「ファティマの予言」、「聖マラキの予言」など…様々な予言者や霊示によって説かれてきた。これらはすべて、近い将来に「神より遠い霊界」が無くなることを予言、警告したものであった。
現界に実際の「果」として現れる前に、必ず霊界に「因」がある。未来の終末的危機を予言した者は、霊界においてその原型を垣間見たのである。やがてその原型が顕在化し、現象として現れることを彼らは知っていたのである。
彼らの予言が必ずしも的中したり一致しないのは、それぞれ個々人の想念波調に応じた霊界と交流し、その霊界レベルとその時代の言葉で表現しようと述べ伝えたものだからである。共通しているのは、そうした「低き霊界」の消滅と共に、地上にもその淘汰現象が移ってくることであり、終末とは「神から離れた霊界」の終焉を意味する言葉なのである。
10.私たちは生きながらにして霊層を上げることが可能である
人間は、誰しも霊界に通じている以上、生きながらにして自分の交流する霊界のレベル(霊層)を上げることも下げることも可能であるということです。これが1度霊界に入ってしまうと、その境域固有の同一バイブレーションで構成されてしまうため、質的に変化向上することが難かしくなってしまう。
しかし、現界においては、あらゆるバイブレーションが同一の次元に雑多に存在するため、心がけと努力次第によっては、霊層アップが比較的容易なのです。その代わり、低い想念波調と交流してしまうことで、さらに低い霊層へと自らを貶めることもある。実は、地上界に生まれたことは、自分の霊層を高めるチャンスなのである。